• 心 日本心創り研究室
    神話伝承から紐解く文化と風習の謎にせまる


日本だけの独自文化「お彼岸」とはなんだろうか?

日本にお彼岸文化が定着するまでに様々な歴史や仏信仰の背景が
もととなりお彼岸で行う2つの事を行う時期になった由来
などの解説させていただきます。
・ご先祖様に感謝をしてお墓参りする時期
・仏教では精進すべき時期とされ六波羅蜜という修行を行う時期

仏教で精進すべき時期とされる六波羅蜜(ろくはらみつ)とは


*彼岸に行う六波羅蜜とは

この世に生かされたまま、仏様の境涯に到るための六つの修行のこと
お彼岸に行うことで、より彼岸へ近づくとされています。熱心な仏教徒さんであれば、
お彼岸に六つの修行を行なっている人もいらしゃるのではないでしょうか。
「六波羅蜜」とは、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧 を実践することです。この修行が完成する期間が1週間と 言われいます。このことから、3月の春分の日と9月の秋分の日を挟んだ前後3日の計7日間のことを、 修行を行う日、つまりお彼岸のお墓参りの季節とも呼ばれるようになったそうです。 しかしなぜこの時期に行われるようになったのでしょうか。 春分の日と秋分の日は太陽が真東から昇り真西に沈むことが特徴です。 仏教では極楽浄土が西の方角にあると考えられており、太陽が真西に沈む時期に仏様を礼拝するのが ふさわしいといった思いから始まったとも言われています。

6の修行とは彼岸に6つの修行悟りの世界に接すること

6修行

自分の都合は横に置いてまず家族や友達、人様の為に尽くす行が大切ということです。
現代のSDGsのような考えのようです。


*京都の六波羅蜜寺の由来

六波羅蜜寺

今年3月から特別展示を東京国立博物館で行なっていた京都六波羅蜜寺の”6体の阿弥陀仏を口から出している 空也上人像”を思い浮かべるかとおもいます。これが6の悟りなのです。ご覧になられた方もいらしゃるかと思います。 自分のことは置いておいて人様に尽くす姿が”6体の阿弥陀仏を口から出している空也上人像”そのもの なんとも言えない慈悲や重厚を感じられる像です。
空也上人とは
南無阿弥陀仏と唱えて極楽往生を願う阿弥陀信仰をいちはやく広め山林で修行をしながら各地を遍歴し、
橋梁や道路等の整備や行倒れた人を弔うなど社会事業を行い、庶民から有力者まで幅広い信仰を集めた人です。

https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2129#1
東京国立博物館 特別展「空也上人と六波羅蜜寺」引用


*六波羅蜜寺の空也上人どんな事をした人でしたのでしょうか?

平安時代半ば951年京都で疫病が流行しており、醍醐天皇の第二皇子であり、「念仏の祖「空也上人」が 疫病が収まり穏やかな世の中になるように願いながら自ら十一面観音を彫りこの仏像を曳き車に乗せ、 願いをこめて”六斎念仏”を唱えながら京都の街中を回りなったそうです。 今から1000年以上前にも日本古来で疫病が流行り人々は退散を願い苦労されていたことが現代のコロナ大流行と 重なり歴史として語られているに驚きと偉大な人物存在を知ることができました。。 お彼岸はお墓参りをするだけしか思い浮かばなったのですが 空也上人のことは考えさせられるものがあり ました。混沌としている世の中で自分のできる善意は何か? 考えてみます。

*人々を救う為の十一面観観音とは?
お顔が本体に1個頭上に10個あり頭上10個それぞれに公徳がある観音菩薩様のこと

10の公徳とは
「病気にならない」「仏様に受け入れらる」「食物に困らない」「敵から守られる」 目上の者から親しくされる」「毒薬、毒虫から守られる」「凶器によって傷つけられない」「水の事故にあわない」 「火事に遭わない」「不慮の事故に遭わない」このようなことです。
様々な表情をした11の顔であらゆる方向を見渡し、人々を苦しみから救ったり願いを叶えたりする観音様と 古来から言われてます。
13面前 13面横 13斜め
こちらは日本における十一面観音菩薩の時代の中で最も古い作品例の1つです。飛鳥後期の作品

出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/E-14848?locale=j


お彼岸のお墓参り

*なぜお墓参りをするのか?

年に二回(春と秋)、3月の春分の日と、9月の秋分の日を中日として、前後3日間を含んだ一週間を お彼岸としてます。仏教では、私たちのいる世界を「此岸(しがん)」といい、ご先祖様がいる悟りの世界(極楽)を、 「彼岸(ひがん)」と呼びます。此岸にいる私たちが善行を積むことで、悟りの境地(彼岸)へ渡ることができる とされてきました。また、浄土思想では、極楽浄土は西方にあると考えられています。太陽が真東から昇り、真西に沈む、 “春分の日”と“秋分の日”は、此岸と彼岸が最も通じやすい日といわれお彼岸の中日(ちゅうにち)である春分の日と 秋分の日は昼夜の長さがおおよそ同じで、太陽が真東から昇り、真西へと沈みます。昔は、極楽浄土の世界、すなわち あちら側である彼岸は遥か西の彼方にあると信じられていた為

5重西


*春.秋分の日と彼岸の違い?

お彼岸の中日が秋分、春分の日
といってます。
お彼岸は春.秋分の日を中心にして
前後のことお彼岸といいます。

表
春分の日は春の訪れにともない、活発化する自然や生き物との触れ合いを重視しています。
秋分の日は先祖の霊を敬い供養することを趣旨としているため、性質が違います。
祝日以降の日照時間も大きく異なり、秋分の日が過ぎると日没時間が早まることに対して、
春分の日以降は日照時間が長くなります。
地球の天の赤道と黄道が交わる春分や秋分を境にを太陽が横切るとき、春分の日は南から北へ、
秋分の日は北から南へと真逆の方向に進むためです。

*お盆とお彼岸の違い

彼岸花

お彼岸は、祖先の魂が、「彼岸」すなわち、反対岸である死後の世界から、我々が住んでいる世界である「此岸」へ 戻ってくるとされている日

茄子胡瓜

お盆は、ご先祖様の霊を彼岸から此岸(家)に迎え入れてご供養をする夏の行事。

お彼岸とお盆では時期と目的が違います。どちらも、ほかの仏教国では行われていない、日本独特の文化になります。 お彼岸に先祖供養や修行を行なうことで、極楽浄土へ近づけると信じられていた為お墓参りをこの時期に行うことが、 一般化したといわれています

*お墓参りに関する豆知識

拝む

1お墓の向き
この西の彼方に浄土の世界があるという考えから、西側を向いてお参りするとが浄土に向かってお参りをすることになる ということで、お墓は東向きであるほうが人気があります。(お墓参りする人が浄土方角を向いてお参りが出来るためです。)

雨

2雨の日のお墓参り
昔から、雨の日にお墓参りを避けるという風習があります。雨の日は穢れていて縁起が悪いとの言い伝えもあるようです。 しかし、明確に雨の日にお墓参りを禁止しているとしている宗教や決まりは昔からありません。 雨が降ると足場が悪くなり怪我をするリスクがあるから注意しましょうと言うことだとおもいます。

妖怪

3.不思議な言い伝え
夜のお墓参りに行くなと言う不思議な言い伝えが昔からあります。 あくまでも迷信なので気になさることはないのですが 魑魅魍魎(ちみもうりょう)人に害を与える化け物が出る言い伝えがあるので暗くなってからのお墓参りは 避けるように安全面でのリスクを避ける為の戒めとして浸透しているようです。 昔からお墓参りには時頃から17時頃までにお墓参りをすると良いとさてます。

線香

4.参りやお寺でお線香はなぜ3本立ててお供えするのはなぜ?
3本の理由として仏教の基本的な考えである「三帰依(さんきえ)」と言う三宝(仏.法.僧)を大切にする 為と言われている為3本立てる。宗派関係なく世界共通のことです。 ちなみに私がお墓参りにいくときは一般に売られている普通の線香10本以上をお供えしてました。 次回から3の倍数に束ねてお供えしてみようかとおもいました。

5.お墓参りでの注意とタブー

墓

*他所のお墓に立ち入ったり、お参りをしたりすることは推奨できません。
墓石などに手を掛けたり、ひしゃくや傘を立てかけたりすることもいけません。 *子供やペットと一緒にお参りをする際も、他所の墓地に入ったり、粗相をしたりしないように お参りをすることがマナーです。
*誰が埋葬されているか分からないお墓に手を合わせることはお墓参りを真剣に行っていない、 いい加減な行為と解釈されるのでよくないです。

ろうそく

*ろうそくや線香の炎を口で吹き消すことは仏教の教えで禁忌とされているため、できるだけ避けましょう 仏教の教えでは、ろうそくなどの明かりとお香は基本のお供え物であり、清浄なものとされる一方、人間の口は 悪いものを生み出す原因で不浄なものです。人間の口は悪行を積みやすく、口から出た息は仏教では 穢れたものと考えられているのです。このため、故人や先祖を供養するためのろうそくや線香は 息で吹き消さずに手であおいで消すか、縦に振って消すのがマナーです。

仏花

*仏壇やお墓にお供えする花を仏花といいます。仏花としてふさわしくないとされているのは 棘やつるのある花、毒のある花、 つるのある花は「何事にも動じないで自分の拠り所を持つ」という仏教の教えに合わないためです。 具体的に良くない花の種類はアザミ、バラなどの棘がある花、彼岸花などの毒がある花です。 香りが邪気を払うとされる菊の花が仏花として望ましいとされます。

お供え

*食べ物のお供え物は、故人や先祖と分かち合うことでもあるので自宅に持ち帰って、 家族と食べるのが正しい供養の方法です。もしくは、墓地のその場でお供え物を食べてしまうのも一つの 方法です。お墓でお供え物を食べることはマナー違反ではないそうです。


お彼岸のお供物

日本にはお彼岸に「ぼたもち」や「おはぎ」をお供えする習慣があります。
もち米とうるち米を混ぜて炊き適度につぶして丸めたものを小豆あんで包んだ和菓子
「おはぎ」や「ぼたもち」に使う小豆の歴史は古く平安時代に登場してます。

小豆(あずき)の歴史

あずき赤小豆は平安前期にできた日本最初の漢和薬名辞典 本草和名(ほんぞうわみょう)に登場してます。 江戸時代に阿豆岐(アズキ)、阿加阿豆岐(アカアズキ)と呼ばれている。赤小豆、赤豆などとも書き、 赤粒木(アカツブキ)からアズキになったと言われてます。 ちなみに漢方ではあずきを赤小豆(せきしょうず)とよび解毒、排膿、利尿があるとされ古来から薬剤とされていたようです。

小豆の歴史はさらに古く、中国の薬学書(世界最古の薬学書「神農本草経」)には当時、小豆の煮汁が解毒剤 としてもちいられたといった記述があります。やがて世界に広まった小豆は薬効のある食材として王侯民族に 珍重され、日本にも3世紀頃伝来したと「古事記」に記されてることから中国同様、日本も薬として使われ てたようです。日本最古の薬草辞典『本草和名」には「赤小豆」のことが記されてます。

本草和名

赤大豆

出典:深江輔仁 著 ほか『本草和名 2巻』[2],英大助[ほか],寛政8 [1796]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2555537 (参照 2023-09-15)

雲珠赤

出典:深江輔仁 著 ほか『本草和名 2巻』[1],英大助[ほか],寛政8 [1796]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2555536 (参照 2023-09-15)

小豆

中国からの名雲珠赤色多と記されてます これは赤小豆(あずき)
想像ですが 赤数珠のように赤小豆が輝いていたのでしょうか?

成長前のあずき

小豆苗

小豆の花

小豆花

収穫前の小豆

小豆

小豆畑

小豆畑

日本古代菓子が「ぼたもち」「おはぎ」の原点かもしれない?

日本では、古くから赤には魔除けの力があると考えられていましたので祝いや儀式の時に小豆を使用した料理を捧げものとして 祀っていくようになったと伝えられてきました。
源氏

平安時代の「源氏物語の中に椿餅.粉熟」というものが物語の中に記載されてます。
日本最古のお菓子とも言われているものです。

椿餅

源氏物語の若菜・上章に記載
・椿餅は(つばいもち)は甘葛を煮詰めて作ったシロップで甘味をつけた餅を椿の葉で包んだお菓子

ふずく

源氏物語の宿木の章に記載
・粉熟(ふずく)は米、小豆、胡麻などの粉を甘い樹液シロップを合わせて丸くした菓子 「ぼたもち」「おはぎ」の材料と同じものをを使用して作られたものです。

源氏物語の中では漢方薬ではなく食間のお菓子として食べられていたようです。 甘いものが大変貴重な時代のお菓子は上流階級の貴族の人 しか食べらないものだったと思われます。甘葛あまずらとは蔦などの樹液 現代のメイプルシロップなようなものだと思います。 そんなに多くは採取できなかったので平安時代では大変貴重なものでした。 お砂糖が使われるようになるまでには江戸時代ぐらいからになります。

楓 樹液

古代法典「延喜式」に記載されている粉熟の作り方

延喜式

出典:デジタル延喜式 Engi shiki Database
「延喜式」内膳 27造粉熟料条 項1 https://khirin-t.rekihaku.ac.jp/engishiki/search?keyword= %E7%B2%89%E7%86%9F&page= 1&sort=_score%3Adesc&size=20


「ぼたもち」と「おはぎ」の違いはなにか?

「ぼたもち」と「おはぎ」は基本的には同じで、季節によって呼び名や作り方が変わります。 通称は「ぼたもち」と言ってます。季節によって違う「ぼたもち」とはどのようなものなのか?。
秋は「おはぎ」、春は「ぼたもち」 花から由来しているようなことを昔から言われてます。

秋の花 萩は小さくてやや細長い花「おはぎ」
小ぶりで俵の形に作ります。

萩 おはぎ

春の花 牡丹は大きくて丸い花、「ぼたもち」
大きめで丸い形に作ります。

牡丹 ぼたもち

材料となる小豆は秋に収穫されます。とれたての小豆が使える秋は、皮ごと使った粒あんに、冬を越した春は、 かたくなった皮を取ってこしあんにして使っていました。だから、春の「ぼたもち」はこしあん、秋の「おはぎ」は 粒あんを使るのが定着したのですが 現代では大豆の保存法もよいので両方共に好みに応じて作られてます。 ですが季節で作り方を分けたりするのも風流な日本の風土も兼ね備えいる風習です。 次の世代に伝え覚えておきたいことです。

ちなみに夏は「夜舟」冬は「北窓」と呼び名があります。
おはぎを作る時餅のように臼でつくことはせず、米を潰してつくりますので音はでません お隣にもいつついたかわからないと言うことから搗き知らずから共に呼び名になってます。

夜舟がいつついたかわからない
夏は「夜舟」と呼ばれるようになった。

夜舟

搗きを月に例えて月の見えない窓
冬は「北窓」と呼ばれるようになった。

北窓

「ぼたもち」「おはぎが」地方独特な風土.風習に合わせて
郷土料理のエピソードと呼び名を紹介

びっくりしてししまう呼び名もあるので先にご説明させていただきます。
「ぼたもち」「おはぎ」の半殺し、皆殺しとは「米の状態」を指す言葉になります。
(地方によっては餡の状態を指す場合もあります。)
お米の粒が半分残っている状態を 半ごろし
お米の粒を全て潰しなめらかな状態 皆殺し、本殺しと言います。
長野県『半殺し』 長野

家事や農作業に忙しい女性衆が 冠婚葬用として手間のかからない 料理としてあみだされたそうです。 皆殺し」米粒を全て潰した 「ぼたもち」はハレの特別日 (冠婚葬祭)には必ずお祝い食 として食されてました。 逆に「半殺し」は日常生活に 近いおめでたい日に食用途に 応じて半ごろし、皆殺しを 食されてます。

栃木県『ぼた餅』 栃木

多忙な農家では、 ご飯茶碗等に盛った ご飯の上にあんをのせた だけの場合が多く、 その場合も呼び名は 「ぼた餅」であった。 稲刈り終了時や稲こき(脱穀) 終了時に、庭の上に零れ落ちて いた稲穂や籾で特別にぼた餅を 作る風習があり、前者を 「刈りあげぼた餅」、後者を 「こきあげぼた餅」と呼ぶ。

福島県 『じゅうねんぼたもち』 福島

福島県はえごまの名産地。 えごまは県内で「じゅうねん」 と呼ばれており、えごまを 食べると十年長生きする と言われるほど栄養価が 高いことや、収穫した種子 が十年経っても蒔けば芽を 出すことから、この名が 付いたとされている。

京都府 『おはぎ』 京都

京都は「おはぎ」に使う 小豆の名産地で、特に 丹波大納言小豆は 煮こんでも 皮が破れにくく、“腹切れ ”しにくい特徴があるため、 切腹の風習がないほど高い 位の大納言からその名を とったといわれている。 現在も彼岸の時期に 食べる風習が引き継がれ てますが日常でも和菓子 の一つとして食されています。

千葉県 『みつめのぼたもち』 千葉

一人目のこどもが生まれて 三日目に「重箱入りぼたもち」 をつくって配るという お祝いの風習で食べられて きたものです。 食糧を満足に得ることが 難しかった時代、 子育てのために栄養が 必要な出産直後の母親の ために、栄養豊富な もち米や小豆を使った 大きなぼたもちを食べさせ たことがはじまりだという 説があります。 三日目のお祝いから 「みつめのぼたもち」と 呼ばれてます。

和歌山県 『いのこ餅』 和歌山

農耕の神様として古くから 祀られている亥は、旧暦2月の 春の亥の子に訪れて田んぼに 稲や麦をつくり、農事を終えると 旧暦10月の秋の亥の子(亥の日) に帰っていくといわれている。 稲作が盛んだった県北部地域では 秋の収穫が終わった亥の日には、 実りに感謝して、亥の神様の好物 である小豆のあんを餅にまぶした 「いのこ餅」を供える習慣があった。

鳥取県 『いもぼた』 鳥取

「いもぼた」は弓浜半島で古くから 伝わるさつまいもを使ったぼた餅 弓浜半島は砂地が多く稲作には 不向きな土地だった為 江戸時代中期に石見銀山 領大森代官、井戸平左衛門が 薩摩国から砂地に適した さつまいもの種芋を山陰に 取り寄せて以降、さつまいもの 栽培が盛んになった。 収穫の少ないもち米の代わり にさつまいもでかさ増しをし 独特なぼたもち文化が生まれた。

徳島県 『半ごろし』 徳島

徳島の相生地区で親しまれている 郷土料理が、もち米とうるち米を 混ぜて作る、おはぎのような 「はんごろし」。炊いた米をすり つぶす際に、米粒が残る程度に “半分だけすりつぶす”ことから はんごろしという名前になった。 ちなみに、米をしっかりとすり つぶして作るおはぎは「みなごろし」 と呼ばれていいます。

奈良県 『いもぼた』 奈良

「いもぼた」は、里芋が入った ぼた餅のことである。餅米が 貴重だったことから、うるち米に 里芋を加え、里芋の粘りで餅米 からつくったようなぼた餅になる 米を大切にする農家の人たちの 生活の知恵である。 奈良盆地平坦部では「亥の日」 以外にも、お彼岸や秋祭りなど お祝いの日に「いもぼた」を お墓や仏壇に供えてます。

出典:農林水産省Webサイト
(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/
syokubunka/k_ryouri/index.html)
農林水産省ホーム▶︎ 基本政策▶︎ 食文化 ▶︎うちの郷土料理 
(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/
syokubunka/k_ryouri/index.html)
をもとにAUS株式会社作成

細長い島国の日本には、さまざな気候がありそれぞれの地域で風土に合わせた料理として「ぼたもち」だけでも 沢山の郷土料理として生活に根付いているのです。
後世に日本文化として大切に伝承していきたいものです。 今回はお彼岸について色々な事柄があることをお伝えいたしました。 ご先祖様を敬い日々精進してしていく気持ちが大切だと言うことが 受け継がれてきた日本の心と風習文化です。
更新2023年9月23日 by:株式会社AUS.