神話から歴史へ、古代日本誕生物語
第1章
古代史ミステリー 神武天皇は実在したのか?
神話『古事記』の神武天皇は
父ウガヤフキアエズ、
母は海神の娘豊玉姫そして
妹の玉依姫が乳母となり
育てらたと神話では語られますが、
もし実在しているとしたら?
更新2025/1/6
目次▼
母は海神の娘豊玉姫そして 妹の玉依姫が乳母となり
育てらたと神話では語られますが、
もし実在しているとしたら?
<聖婚が繰り返されて誕生した『神武神話』とは>
神々の力が宿り、皇統の多様性、王権の強化、
などを示す為に古代の人々の世界観や価値観を反映した神話として語られてきました。
『古事記』では聖婚出産が3代も繰り返しされた後に天皇誕生となったとされてます。
神武天皇家系図

3代聖婚とは
・天孫降臨後、邇々芸命と木花之佐久夜毘売(山神の娘)との婚姻
・火遠理命と豊玉毘売(海神の娘)との婚姻
・鵜葺草葺不合命と玉依毘売(海神の娘)との婚姻
三代にわたって聖婚出産の神話が繰り返されてます。
超古代からの自然信仰の影響から語られた。
天つ神の子孫が自然界を構成する二大領域である山と海の神の娘を
娶ることにより、海山の呪力を得て、神の支持を獲得し、
地上の支配者たる初代天皇の出現に至る、と現在まで語られてます。
古代からのアニミズム信仰が根底にある日本誕生物語です。

単なる神話物語ではなく、日本人の宇宙観や生命観、自然観を反映した深い思想が込められた物語 宇宙の始まりから生命の誕生、自然の力、そして人間の営みまで、広範なテーマが描かれています。 これらの物語は、現代を生きる私たちにとっても、生命の尊さや自然との共生、 そして人間の根源的な問いに対するヒントが得られると思われます。

神武天皇誕生の物語は、日本人のアイデンティティの形成に大きな影響を与えました。 日本人としてのルーツや、国家への帰属意識を育む上で重要な役割を果たしています。 そして皇室の権威を正当化するものでもありました。 天照大御神の子孫である神武天皇が、日本の初代天皇となったという事実は、 皇室の権威を神聖なものとして位置づける根拠となり日本国が誕生したのです。
<神武天皇の母実在説>
神武天皇の母とされている「玉依姫」は海神の娘産み母豊玉姫の妹として『古事記』で語られているのが一般的なのですが、 近年出土した遺跡の研究結果などを基に実在説も言われるようなってます。
[実在説]
古代には、神霊が宿る巫女のことを「玉依姫」と呼んでいた可能性があるという説があります。
神話の中には、具体的な人物として描かれているため、実在した人物をモデルにした可能性も考えられます。
[象徴的な存在説]
玉依姫は、単なる歴史的な人物ではなく、神話の象徴として描かれた存在であるという説が有力です。
神話の中で、玉依姫は神武天皇の母として重要な役割を担っており、国祖としての神武天皇の血統の正当性を
示すために創作された人物である可能性があります。
[「玉依姫」の役割]
単なる神武天皇の母だけでなく、巫女としての側面も持ち合わせています。
これは、古代社会において、女性が宗教的な役割を担っていたことを示唆しています。
名義は「神霊が依り憑く巫女」と考えられる。
神武天皇の母とされている玉依姫が実在したかどうかは、明確な証拠がなく、学者の間でも見解が分かれています。 古事記や日本書紀には、歴史的事実と神話的な要素が混在しており、どこからが史実でどこからが神話なのかを明確に 区別することが難しい場合があります。玉依姫は、日本の神話において重要な役割を担っており、日本人の アイデンティティ形成に大きな影響を与えてきました。
<平原遺跡の被葬者とは?>
神武天皇が活躍しただろうと言う紀元前8世紀頃の弥生時代後期の代表的な遺跡に現在の糸島市に 『平原遺跡』があります。『魏志倭人伝』に名を残す『伊都国』の王墓


平原遺跡は1965年1月にみかんの苗を植える為塚畑の土を掘っている所、土の中から大量の金属片を発見しました。地元の考古学者 原田大六氏を中心に地盤調査が行われました。大小5基の時代別の廻向墓が発掘され、魏の時代の日本に関する記録である魏志倭人伝に 記された『伊都国を統治した君主』の墓跡であることが判明しました。
<考古学者「原田大六氏」は、なぜ平原遺跡被葬者を神武天皇の母としたのか?>
出土品の特徴、時代背景、地理要因、大陸に伝わる神話や記録を調査した結果、この古墳は『古事記』に登場する玉依姫ではないかと 神別名『大日女御智(おおひるめのむち)』天照大神(あまてらすおおみかみ)とも言われる古代伊都国に住んでいた倭の女王、 被葬者が女性で時代が近いことから『卑弥呼』説もありますが、『魏志倭人伝』には、邪馬台国と伊都国は別の国だったと記されており、 平原弥生古墳は卑弥呼の時代より100年ほど前につくられたものであることから神武天皇の母『玉依姫』の墓として 説明してます。
[伊都国王は太陽信仰だった]

伊都国は日向峠(ひなた)から昇る朝日を仰ぎ、玄界灘に沈む夕陽に照らされた先、韓国に向いて開いています。 伊都国は2本の川に挟まれた肥沃な土地で稲作が盛んな国であった。アマテラスは太陽神であり、天候を司る農耕神でもあります。
考古学者原田氏は平原王墓付近にあった二つ組を成す穴を鳥居の跡と推定し、二つの鳥居がそれぞれ日向峠と高祖山に向いており、 秋の収穫の頃には日向峠から朝日が昇ることにも鑑みて、王墓が稲作の暦と密接に関係していたと推論した。 そこで平原王墓に葬られた被葬者が太陽に関わる神事を行っていた人物であり被葬者を玉依姫、つまり大日孁貴 (オオヒルメノムチ)= 天照大神であると位置づけたことは、多くの考古学ファンは知っていることだと思います。
[出土品や古墳の南東に位置する『日向峠』に向かって埋蔵されていること]
この平原遺跡の被葬者は、日向峠に向かって南東を向いて埋葬されており、遺跡には鳥居の柱の跡が複数残されてました。 毎年10月20日には第一鳥居から見ると、日向峠から昇る朝日が一直線に古墳に差し込むレイライン上にあります。 古来より今日まで10月20日前後には、宮中や全国の神社でその年の新米を神い供える神事を行うことが、大切にされています。 これが「新嘗祭(にいなめさい)」です。

伊都国歴史博物館 復元模型姿


photo by NPO伊都国平原王墓保存会撮影

伊都国歴史博物館 復元模型
太陽を迎える意味から埋蔵された位置が太陽に向かっていることから日本は伊都国から始まったのではないかと思われてます。
[日本最大の青銅鏡が出土した鏡は八咫鏡と同型かもしれない?]
平原弥生古墳1号墳から日本最大の青銅鏡(花弁と八葉に似た文様)を含む銅鏡39枚や勾玉、鉄剣が出土した、 副葬品の特徴から弥生時代後期150年頃の伊都国に住んでいた倭女王の墓と特定されました。 出土品は全て2006年国宝に指定され、伊都国歴史博物館に展示されてます。 伊勢神宮に伝わる記録と平原出土この大鏡は大きさも形状も一致していることから、 日本皇室の三主の神器と同じ神聖な鏡(八咫鏡)であると考えられます。
国宝『内行花文八葉鏡』直径46.5cm

出典:伊都国歴史博物館 展示品
出土した方格規矩四神鏡の図案
鏡に刻まれた古代暦(弥生時代のカレンダー)
この鏡で暦をよみ田植えの時期や刈り入れの時期を
推測していた

出典:NPO伊都国平原王墓保存会作成 資料
刻まれている内容(読み下し)
尚方竟(鏡)を作れり、真にして大いに巧なり。上に仙人ありて、
渇けば玉泉を飲み、飢えれば棗(なつめ)を食う。
天下を浮遊し、四海に放し、神山を徘徊し芝草を採る、
寿は金石の如く国の保(宝)とならん。
平原の地域でこの鏡が天文学観測『日の出』の神聖なものとして尊ばれていたと信じてます。 東にある高須系山々は、日の出の位置によって田植えや稲狩りの時期を示す目印の役割を果たしていたとも考えていました。 高須山の南には櫛降山があります。この山と日本神話との関についても推測してます。
参考:伊都国歴史博物館資料
大陸からもたらされた稲作農耕文明の入り口が伊都国を含む北部九州であったことは間違いなく、当時、大きな勢力を誇っていた伊都国が、 太陽神で農耕神であるアマテラスの命による天降り〈天孫降臨〉の舞台が、あったのではないかと思ってしまう出土品や土地柄なのです。
[大陸との交易が盛んだった事実]
朝鮮半島に近い伊都国は大陸との交易が盛んだった。
平原弥生古墳の副葬品は、ほとんどが鏡や装飾品で、地頭(女性だけが着用していたピアスの一種)も含まれていることから、 被葬者は女性であると考えられます。出土したナトロンガラスは地中海沿岸が原産で西ローマ帝国と交流も意味してます。
平原1号墓出土のこの重層連珠はナトロンガラスと 呼ばれるローマ帝国を中心とする地中海沿岸地域の ガラスであることが科学分析で判明しまた。 またモンゴル、カザフスタン内陸遺跡からも類似した連珠だと 確認できました。 (新聞報道記事 伊都国『王墓』ガラス玉) 中央アジアからモンゴル高原を通る『草原の道』経由して 持ち込まれた可能性は高いことが推測されます。 漢帝国と西ローマ帝国との交流が伊都国まであった そして朝鮮半島を経由して海外の様々な物資が入ってきた。
平原遺跡1号墓出土の重層連珠
出典:伊都国歴史博物館 展示品


この魏志倭人伝に記されている ”伊都国”の人々はどこへ行ったのでしょうか?
平原遺跡の被葬者はヤマト王国を作った初代神武天皇の実在した母なのでしょうか?
歴史ロマン満載の『平原遺跡』です。今後の調査で事実がもっと判明されること期待してます。
更新2025/1/6
次回:神武東征