第3章
ペトログリフが語る超古代ウガヤフキアエズ王朝
海幸彦山幸彦につながる別神話
更新2024/10/30
目次▼
『海幸彦、山幸彦、神話』
二人の兄弟神、海幸彦と山幸彦の釣り針をめぐる争いから始まるドラマ
古代日本人の世界観や価値観そして社会構造、文化、などを学ぶことができます。
そして日本人の心に深く根ざし、日本文化に重要な役割を果たし、
人間関係や自己成長のヒントが学べる物語です。
3.章
海幸彦山幸彦につながる別神話
学校では教えてもらえない超古代王朝のお話し
<ペトログリフが語る謎の超古代ウガヤフキアエズ王朝>
ヤマト王朝よりも遥か昔紀元前1000~300年頃「ウガヤフキアエズ王朝」があったと
古史古伝書ウエツフミにはあります。
ウエツフミとは、
豊国文字という神代文字で書かれた「神話」であり、歴史書、
超古代文明のことが記述された書、一般的には偽書の扱いになってます。
ウガヤフキアエズ王朝のこと、日向族たちが書いた『正史』であったのではないかと?
王朝の滅亡と同時に、本文は散逸したか、焼却されたか、失われたと言われてます。
しかし、その後約二千年間ものあいだ、その末裔たちにより代々秘伝として
写本が受け継がれ伝承されてきました。2000年以上も驚異であり、おそらく現存する古文書の
なかでも、最古書クラスの貴重文献ではないかと、考えられている書です。
古代文字で記されているウエツフミ、富士宮下文書、神伝上代天皇紀、竹内文献、九鬼文献などは、
それぞれ内容が異なりますが、ウガヤフキアエズ王朝のことが記述されています。
現在でも偽書とされているのですが、
研究者の間では色々な論争が繰り広げられ興味深い内容です。
超古代に『ウガヤフキアエズ王朝』が存在した可能性を示唆している書物
・「ウエツフミ」には第74代まで続いた「ウガヤフキアエズ王朝」の治世の歴史が書かれています。
・「神伝上代天皇紀」には最後の73代の王が日高狭野命が神武天皇になるようです。
・「富士宮下文書」には51代続いたウガヤフキアエズ王朝の記載があり代数が違いますが、内容一致すこともあります。
これらは、偽書と言われてますが、複数の書に記載があるのは事実なのです。
ウガヤ王朝=飛騨王朝(縄文王朝)ではないかと言う推測論争もあります。
歴史ロマン
縄文時代のものと思われるピラミッド遺構やストーンサークルが全国に存在している、これらを利用した宗教的なものが存在していました。
日本ピラミッド研究者:酒井勝軍氏によると、「日本列島には三角形の自然の山を利用したピラミッドが各地に存在し、
その山頂には太陽石と呼ばれる巨石を中心としたストーンサークルが置かれている。」とされています。
推測ではありますが、この宗教の主催者こそが飛騨王だったのではないでしょうか?
明治時代に編纂された『上記徴証』うえつふみ ちょうしょう
大友能直 原輯 ほか『上記鈔訳』歴史部 1,
中外堂[ほか],明10.7.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/772039
(参照 2024-09-06)
吉良義風 編『上記徴証』第1編,
甘泉堂,明13.11.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/772042
(参照 2024-09-06)
<天野岩戸の蓋には神代文字が刻まれてた事実>
宮崎県の高千穂で江戸時代の末期に、日向国臼杵郡岩戸村で発掘「天の岩戸」この場所から出てきた蓋石には、 「うえふつみ」と同じ「豊国文字」で全く別の神話が書かれていた「蓋石の碑文」が発見されました。
宮崎県西臼杵郡高千穂町に鎮座する 天岩戸神社で発見されたとされる岩蓋 文政四年(1821年)に発見されたということですが 小型の箱式石棺の蓋(ふた)石だったということです 石棺内には銅鏡七面と四個の土器が副葬されていたということで 小型の箱式石棺ということと副葬品の銅鏡に大鏡が含まれていることから 時代は弥生時代後期頃と思われます。 文字が刻まれた蓋石と石棺が、 同じ時代かどうかは定かではないようです。
岩戸蓋石の寸法
タテ凡そ1.2尺(45.48cn)、ヨコ凡そ1.3尺(49.27cm)、
中央部の厚さ凡そ2.5寸(9.48cm)
宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸に鎮座の「天岩戸神社」の近くにある天岩
戸の岩窟辺から掘り出された甕(かめ)の蓋石のことである。
これについては田近長陽著「高千穂古文字伝」に詳しく記してある。
これらの記録によると昭和31年7月、東京から学術調査団がやってきた
とき、蓋石の史的信憑性がない-と判断され、岩戸神社の氏子一同が
検討した結果、地上から永久に抹殺することになり、粉々に砕いて
近くの川底に沈められました。
大友能直 原輯 ほか『上記鈔訳』歴史部 1,
中外堂[ほか],明10.7.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/772039
(参照 2024-09-06)
天岩戸隠れされたとされる穴 神聖な場所のため撮影禁止の為イメージ画像です
高千穂にある天野岩戸神社で御神体の『天岩戸』はお祓い をしてから遥拝所に入り厳かな所から拝見できます。 その際ご案内の宮司さんから、ここの岩戸に蓋のように 置いてあったそうです。岩戸蓋石には、神代文字が 刻まれていたが、抹消されてしましたと説明が ありました。残念です。拝見したかった!
岩に刻まれたいた豊国文字
大友能直 原輯 ほか『上記鈔訳』歴史部 1,
中外堂[ほか],明10.7.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/772039
(参照 2024-09-06)
この岩戸文字が発見された後、明治八年(1875年)、大分県で上記(うえつふみ)が 発見され、そのなかの文字の解説により、うえふつみ研究者達によってこの岩戸文字が 解読されたのですが。今まで教わった内容と違う天岩戸伝説なのでビックリ!です。
「ホノアカリの命が、この岩戸に篭ったとき、持ってきたヤタの鏡をここに隠し置いた」 こちらのサイトを参考にさせていただきました。https://ugaya.jimdofree.com/
内容は小型の箱式石棺の蓋(ふた)石だったということです 。
石棺内には銅鏡七面と四個の土器が副葬されていた記述内容です。
大友能直 原輯 ほか『上記鈔訳』歴史部 1,
中外堂[ほか],明10.7.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/772039
(参照 2024-09-14)
天野岩戸伝説はホノアカリ=海幸彦説 エッ!💦
「ウエツフミ」研究者による解釈によると 弟・山幸彦の人徳に人気が集まり、 兄も皇位継承権を弟に譲ろうとするのですが、 山幸彦自身が「自分は弟だから」という理由で これを辞退したため、兄はそれを嘆いて 『天の岩戸』に篭って反省した。 天野岩戸伝説が石碑文に記載されていた。 海幸彦・山幸彦物語と天岩戸伝説が ドッキングしたお話しの内容解釈になってます。 正史書(古事記、日本書紀)と違う仮説内容なのです。 もう一つのファンタジーの世界感から日本が始まった。 海幸彦山幸彦物語は建国に重要な神話なのです。
この石碑文は、古事記のお話しと違う海幸山幸彦神話です。
そしてこの石碑は昭和31年に
粉砕され消滅してしました。
現在も謎のままなのです。
ミステリー神話として
語り継がれてます。
<謎のペトログリフが証明したウガヤフキアエズ王朝>
漢字が伝わる前の神代文字が彫られた大岩が、
大分県の国東(くにさき)半島で発見されました。
国東半島は、古代日本列島と中国や朝鮮半島の大陸を結ぶ交易の要衝を担っていた。
大岩に掘られた豊国文字の石碑は「トミアキタラシナカオキテンノウ」と
多数の研究者のあいだで解釈されており、
ヤマト王朝前にあった王朝の25代目の天皇と記されていた。
神代文字の解明は現在も研究中です。
教科書にはかかれてない謎の歴史があった。
大和王朝が成立する以前、偽書と言われている『うえふつみ』にも記述と
石碑に書かれたことと一致してたことから、
大分県を中心にウガヤフキアエズ王朝と呼ばれる古代国家が存在していた。
神武天皇以前にウガヤフキアエズ王朝があったのは複数の書「神伝上代天皇紀」「富士宮下文書」の書にも記載があり事実のようです。
その第25代ウガヤフキアエズの命(富秋足中置天皇)が、フトマニで占ったところ、
「そこを焼いて、良き地を掘れ、(そうすれば)霜が溶けるであろう」というご神託が出た、
そして、この御信託を、3種類の神代文字で岩に刻んだものが石碑として国東半島で発見された。
(なぜ3種の文字なのか?、日本神3貴子の月読(つくよみ)・天照(あまてらす)・須佐之男(すさのお)の3部族が結集したから、
3種の神代文字によって記されたのでしょうか?あくまでも想像です。)
この石碑も『上記』も正史書とされてない複雑な何かがあった、ますます気になります。
そして日本神話以前に古代文明があったことを伝えていることになります。
アニメの世界のようですが事実なのです。
<神武天皇誕生前の時代はどんなだったのか?>
温暖だった縄文時代は、時代後期(紀元前約2,000〜1,000年)になると、ふたたび寒くなり始めます。 寒冷化(かんれいか)した日本列島では、海面が下がり、海が遠くなりました。貝塚(かいづか)を作っていた大きなムラも、 少なくなっていったと考えられています。森のようすも変わり、食べ物やくらし方も出土した遺跡から推測されます。
弥生時代からは変わっていった革新的時代に入ることになります。 このように、数千年おきに寒冷化(かんれいか)から温暖化(おんだんか)、また寒冷化(かんれいか)へと 環境(かんきょう)が変わっていくなかで、縄文(じょうもん)人は生きていました。縄文(じょうもん)時代は、 自然環境(かんきょう)との深いつながりから自然信仰が当たり前のようになっていき 弥生時代でアニミズム信仰はさらに深まり神の時代、そして海上交易も盛んになっていった。
古墳時代には、寒冷化によって豊にあった食べ物が徐々に少なくなり渡来した稲作文化を始めなくては食料の調達がむずかしくなった。 さらに気候変動による大飢饉と疫病の蔓延であった。 このころ漢字という文字も中国から伝わってきた。これらに共にい、また争いも多々多くなり、混乱の時代に突入していった。 国家統一する為にヤマト王朝朝が設立するまでに試行錯誤が色々あった話として古事記や日本書紀で語られいる神話 そして偽書とされている中ににも本当のことが語られてた可能性もあるのではないかとおもわれます。 ヤマト王朝時代前が空白の時代とも言われている歴史ロマンの世界なのです。
遥か昔にウガヤフキアエズ王朝があったかもしれない記述、平穏な縄文時代の王朝から寒冷化の影響から食料調達や渡来人の来航に伴い ハイブリッド時代に突入していった。「ヤマト王朝」設立をする必要があった。そして神武天皇が誕生した。 海幸彦、山幸彦の神話では、海神宮の姫様と結婚をして神武天皇の父が誕生したお話しは、まさしく古代日本に必要な神話だったのです。
更新2024/10/30