巨大古墳が語る激動の時代!革新の4世紀の謎に迫る

2章
古代日本の権力と美の象徴、ここに蘇る 謎の『蛇行剣』

・蛇行剣の神話伝承
・蛇行剣の歴史
・蛇行剣の存在と蛇信仰
・伝説を超える、禁忌の蛇行剣

日本古代史空白の150年を照らす光!
東アジア最大の蛇行剣が4世紀頃の富雄丸山遺跡から出土された
古代日本の驚異的な技術力と秘宝に秘められた物語がついに動き出すか?

2023年に富雄丸山古墳で出土された「巨大蛇行剣」と「鼉龍文盾形銅鏡」はまさに空白の150年
4世紀から5世紀にかけて製作されたと考えられています。
さらに今まで出土したことのない大きさと形は謎の空白時代解明の糸口になる可能性大
4世紀と言えば謎のヤマト王権
時代背景と歴史ロマンの世界にご案内いたします。

超巨大蛇行剣

蛇行剣
2章は『巨大蛇行剣』に関するの時代背景や関連事を探っていきます!

第2章
古代日本の権力と美の象徴、ここに蘇る 謎の『蛇行剣』

蛇行剣の神話

蛇行剣は、その独特な形状から、古代の人々にとって特別な意味を持つ武器と考えられていました。 そのため、蛇行剣に関する神話や伝承が各地に残されています。

草薙剣とヤマタノオロチ

大蛇

最も有名な蛇行剣の神話は、草薙剣とヤマタノオロチの物語です。 スサノオノミコトは、ヤマタノオロチ退治のために、 天叢雲剣(あまのくもたち)を携えて出雲国へ向かいます。 八岐大蛇の尾から草薙剣(蛇行剣)を取り出し、神剣として 天照大神に献上します。 蛇行剣は、草薙剣を象徴する武器として捉えられていた 可能性があります。

天孫降臨と蛇行剣

ににぎ

天孫降臨神話にも、蛇行剣が登場します。 ニニギノミコトは、天降る際に天叢雲剣を携えていました。 天叢雲剣は、その後、尾張国(現在の愛知県)の熱田神宮 に祀られました。この神話では、天叢雲剣は天孫降臨を 導いた神剣として描かれています。蛇行剣は、天孫降臨の 象徴としての意味合いもあったと考えられます。

各地の古墳からは、蛇行剣と一緒に副葬された鏡や玉なども出土しています。 これらの副葬品は、蛇行剣が神聖な力を持つ武器として崇拝されていたことを示唆しています。 また、蛇行剣は、魔除けや厄除けの力があると信じられていた可能性もあるのです。

蛇行剣神話の意味

『蛇神の力』

蛇神の力を取り込んだ武器として捉えられていた可能性があります。 蛇は、古代において水や再生の象徴として崇拝されていました。

『権力の象徴』

権力の象徴として捉えられていた可能性もあります。蛇行剣は、貴重な金属で作られた高価な武器であり、 それを所持することは、権力と富の象徴であったと考えられます。

『精神性の象徴』

精神性の象徴として捉えられていた可能性もあります。蛇行剣は、複雑な形状を持つ美しい武器であり、 それを眺めることで、精神的な高揚を得ることができたと考えられます。

蛇ニョロ

蛇行剣の歴史

蛇行剣は、古墳時代中期(5世紀後半~6世紀前半)を中心に盛行した、
刃身が蛇のように曲がりくねった形態を持つ鉄剣です。
日本全国の古墳から出土していますが、特に畿内地方に多く分布しています。

蛇行剣の起源は2つ考えられます

<朝鮮半島からの渡来説>

朝鮮半島南部から九州地方に伝来したという説です。 朝鮮半島南部でも類似の形態の鉄剣が出土しており、両地域間の交流があったことを示唆しています。

<日本国内での独自発展説>

日本国内で独自に発展したという説です。 弥生時代の鉄製武器の技術を基に、蛇行剣が生まれたと考えられています

蛇行剣出土地区

蛇行剣は古墳時代前期から中期(4世紀から5世紀) にかけて製作されたと考えられています。 今までに出土された古墳
・兵庫県朝来市 茶すり山古墳(4世紀後半)
・天奈良県奈良市 富雄丸山古墳(4世紀後半)
・佐賀県神埼市 西郷茶臼山古墳(5世紀前半)
・福岡県糟屋郡新宮町 仲津山古墳(5世紀前半)

これらの古墳はいずれも、畿内や北九州を中心とした 地域に分布しており、当時の権力者たちが蛇行剣を 所有していたことが示唆されています。

茶すり山古墳出土

茶すり山古墳出土 素環頭大刀・鉄刀・蛇行剣.JPG
Saigen Jiro - 大阪歴史博物館企画展示。 Saigen Jiroが撮影。, パブリック・ドメイン, リンクによる

鍛冶屋

蛇行剣は、古墳時代中期にかけて、形態や製作技術が発展していきます。 古墳時代前期:剣身は短く、曲がり方も単純です。製作技術もまだ未熟です。 古墳時代中期:剣身は長くなり、曲がり方も複雑になります。製作技術も向上し、 美しい杢目模様が現れるようになります。 地域によって形態や製作技術に違いが見られるのも、蛇行剣の特徴の一つです。 古墳時代後期になると、蛇行剣は徐々に姿を消します。そして新しい武器の登場と政治体制の変化の為 古墳時代後期 になると、中央集権的な政治体制(ヤマト政権)が確立し、武力よりも政治力によって支配が行われるようになり、 そして仏教伝来とともに蛇行剣は6世紀の例(宮崎県島内地下式横穴墓群出土品)を最後に姿が消えてしまいました。
参考
:https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/00011541

在蛇

蛇行剣は、どのような存在だったのでしょうか?

蛇行剣が、呪術や実戦的な武器として使用されていた可能性の理由

火

<呪術的な目的>
蛇行剣は、その独特な形状から、魔除けや厄除けなどの呪術的な目的で作られたと考えられています。 古代日本では、蛇は神聖な生き物とされ、蛇行剣はその力を宿すものと信じられていました。

葉

<儀礼的な目的>
蛇行剣は、祭祀などの儀礼的な目的で作られたとも考えられています。古代日本では、剣は権力の象徴とされ、 蛇行剣は特別な儀式で使用されていたようです。

とんかち

<実用的な目的>
蛇行剣は、実際の戦闘で使用されていたと考えられています。蛇行剣の形状は、敵を威嚇する効果があり、 また、剣身を曲げることで、相手の攻撃を受け流す効果があったと考えられています。 柄の部分が長く、両手でしっかりと握ることができるため、扱いやすく、威力も大きくパワフルな剣になります。
ですが、実際にどのように使われていたのかは、まだ分かっていません。

日本の蛇信仰はいつからあったのか?

日本の蛇信仰の起源は古く、縄文時代まで遡ります。縄文土器には、ヘビを模した土器や装飾品が数多く出土しており、 当時からヘビが人々の生活の中で重要な役割を果たしていたことが伺えます。

ヘビは水の神と考えられたり、竜と同一の神であったり、また男性を思い浮かべるなどいろいろなとらえ方があります。 古代では山の神様として記紀に登場します。昔からマムシは毒蛇として恐れられ、また脱皮することから生まれ変わり の象徴ともなります。土偶の頭の上や人面装飾の上にもヘビがのることがあります。ヘビが擬人化された神様なのでしょうか。 縄文時代には土器の文様としてあらわれるので、特別な思いがあったことがわかります。 蛇は、古くから水神や農耕神として信仰されてきました。また、再生や生命力の象徴としても考えられていました。 そのため、縄文時代の土偶や弥生時代の銅鐸には、蛇を象ったものが多く見られます。

蛇

出典:三鷹市埋蔵文化財調査室
http://www.mitaka-iseki.jp/kikaku4/02doki.htm
出土遺跡:市立第五中学校遺跡
時期:縄文時代中期
土器型式:勝坂式

蛇2

出典:三鷹市埋蔵文化財調査室
http://www.mitaka-iseki.jp/kikaku4/02doki.htm
出土遺跡:市立第五中学校遺跡
時期:縄文時代中期
土器型式:勝坂式

Periodo jomon, vdogu, 2000-1000 a.c. 2.JPG
By I, Sailko, CC BY-SA 3.0, Link

出典:東京国立博物館の縄文土器

<蛇行剣の出土木地区>
極めて少ないとされる蛇行剣ですが、不自然なほど大量に出土する地方があります。 宮崎県や鹿児島県といった南九州地方です。朝鮮半島南部と交流があったと思われます。 特に宮崎県えびの市では、全国出土例の実に1/3以上が集中してます。 南九州在来の「隼人(はやと)」と呼ばれた人々とヤマトとの関係を指摘する研究者も多くいます。 神話上、天皇家の始祖は南九州からヤマトに移ったとされており、深い関連があるのでは?、 同様に東北の「蝦夷(えみし)」とよばれた人々人々の関係はどうだったのでしょうか? 最後までヤマトの支配に対して頑強に抵抗していたとか...ハッキリしたことがまだ解明してなく 謎多き時代です。日本古代史の謎に迫る難しい問題のひとつでもあるといえるでしょう。 現在、蛇行剣は6世紀の例を最後として、忽然とその姿を消してしまいます。なぜでしょうか? 今回の富雄丸山古墳の蛇行剣は当時の政治、文化、社会を知る上で大変重要な資料なのです。

隼人(はやと)とは、 古代日本において、阿多・大隅 (現在の鹿児島県本土部分)に 居住したとされる人々。

隼人

蝦夷(えみし)とは、 大和(やまと)政権の時代から, 東北地方で大きな勢力を持っていたといわれています。 朝廷に服従していなかった人々のこと、 言葉や風習も違って,朝廷から異民族と見られていた。

🔖蛇行剣の発祥は?
現在も議論の対象となっていますが、朝鮮半島南部である可能性 が高いと考えられています。朝鮮半島は、蛇行剣が最も多く 1000本以上が出土しています。日本では100本ほど出土 また中国東北部も、朝鮮半島と接しており、蛇行剣文化の 影響を受けています。遼寧省や吉林省を中心に、多くの蛇行剣が 出土しています。このようなことから国交交流のシンボルとして 蛇行剣は役割をもっていたのではないでしょうか? 蛇行剣の伝播を通じて、権力、武力、宗教、文化や技術が 各地に伝わった可能性もがあります。
百済

出典:尾関トヨ 編『神功皇后三韓征伐』,豊栄堂,明23.8.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/884931
(参照 2024-05-15)

神宮皇后

出典:山月庵主人 編『神功皇后三韓退治図会』, 共隆社,明19.10.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/881302
(参照 2024-05-15)

船

尾関トヨ 編『神功皇后三韓征伐』,豊栄堂,明23.8.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/884931
(参照 2024-05-15)

最古伝説を超える、『禁忌の蛇行剣』

奈良県富雄丸山古墳
東アジアで最も長い蛇行剣 237cm

富雄丸山古墳から出土した鉄剣は刃部が6回屈曲した蛇行状の蛇行剣を呼ばれるものです。全長238cmもあります。 この剣に取り付けられていた木製装具の「つか」「鞘さや」を装着した状態の総長285cmにもなります。 つかは全長38cm前後に復元でき、手で握る部分(つか間)以外は全面に黒漆が塗られた面に直線や曲線で構成された 文様がありました。

<「鞘」の材は広葉樹のホオノキであることが確認されました。>

ホオノキ

日本列島にホオノキが自生し始めたのは、 約1,500万年と考えられています。 人間生活において様々な機能を果たす、 貴重な樹木です。ホオノキの葉は燃えにくい 性質を生かし屋根の葺き材として使ったり、 ホオノキの葉を燃やして灰を作ることで、 その灰を肥料として利用することもできます。 ホオノキの葉で包焼きをしたり、食べ物の保存、 したりすることができる生活用品の優れものです。 現代では朴葉焼きの葉がホオノキです。

大葉焼き

<今までの蛇行剣と違う特徴>
鞘尻には先端が広がった長さ18.5cmの細長い突起ついてます。剣を立てて置いた時に鞘尻は直接 地面に触れないようにする為と考えられます。これを『石突(いしづき)または(とん)』と呼んでます。このような 突起が古代日本の刀剣の鞘で確認できたのは今回が初めてだそうです。

富雄丸山古墳
東アジアで最も長い蛇行剣 237cm

中国遼寧省(りょうねいしょう)喇嘛洞(らーまだん)
中国で一番長い蛇行剣 138cm

広島県中小田2号古墳
日本で2番目に長い蛇行剣115cm

奈良県北原古墳
日本で2番目に長い蛇行剣 84.6cm/p>

今回富雄丸山古墳で出土されたお墓の副葬品蛇行剣は、 刀と剣の特徴を併せ持つ類例のない革新型デザインの蛇行剣の クリーニング作業が終わり緊急特別公開を拝見させていただきました。

ヤマト王権の管理下で作られた儀礼用刀剣のルーツと考えられるという。 精巧な装飾が施されているものもあり、権威の象徴として用いられていた可能性があります。 そして祭祀などの儀式に用いられていた可能性もあります。 実戦的な武器と儀礼的な道具の両方の役割を果たしていたとも考えられていますが、 このような巨大な剣を使って戦闘はアニメ世界や巨人でない限り難しいのでは?  特別高貴な人の為に呪術的なことで創り出されたものではないのか? 色々とファンタジー感を想像をしてしまいます。

この巨大剣の目的は、どのように創り出されたのか、 超越すぎる技術はどうのうに得たものなのか? やっぱりアニメの世界のようなことを想像してしまいますね! 今後もっと解明されて謎の4世紀のことがわかってくると思います。 4世紀と言えば『卑弥呼』との関係はどうだったのか?... わくわく満載で今後の研究調査報告が楽しみです。

更新2024/5/30
次回 3章 古代ロマンを映し出す、鏡の宇宙『だ龍紋盾方銅鏡』